tayutayu

日誌

17歳のカルテ

高校三年生のころ、はじめて受診した病院に電話をかける。もう十年以上前のことなので半分あきらめていたのだけど、そのときのカルテはまだ残されていて、証明書の発行も可能との返事をもらった。

初診の日の朝のことはよく覚えている。
クリニックまでは、通学するときと同じ電車に乗ってむかっていた。いつもと変わらない満員電車のなか、前の席が一つ空いたので母に座るように促す。学校の少し先の駅までの数十分、手すりにぶらさがりつつ、向かいに座る母がときどきはんかちで鼻を拭うのを泣いているんじゃないかとはらはらしながら(たぶんただのくせ)、これから起きるまったく読めない時間を想像したり、していなかったりした。
このとき耳元でかかっていたレディオヘッドのアルバムはいまでもとても好きだけれど、この朝のことを思い出してしまうのでめったに聴かれない。

放心したまま窓の外を流れていくいつもと同じ景色を眺め、ときどき母の表情をぬすみみては、子どもが精神科にかかるのってどんな気もちなんだろうとか(彼女もかつては患者だったのだが)、はてしなく絶望的な、途方にくれるような気もちになっていたのをよく覚えている。
家ではもっと絶望的な毎日がくり広げられていたこともわすれて。

病院は母が以前お世話になったクリニックだった。
主治医も同じで、まったくかざらず、穏やかな口調で話す女性で、世の中にこんなやわらかい時間があるのかとびっくりさせられた。
たとえると、部屋自体はとても簡素な空間なのに彼女との面談中はいちめんジェラピケ、よぎぼー、はんぺん?魚河岸あげ?、そのような感じ。
深く座ったら起き上がれなくなりそうな怖ささえあった。そのころのわたしはあまりにも絶望しすぎていたし、そんなやわらかい空間に身を置く経験もなかったし、いまよりもずっとなにもしらなかった。半年くらい通ったけれど最後まで寄りかかりかたはわからなかった気がする。
いろいろ話をして、薬を飲むのはまだ怖い、ということで漢方を処方してもらいつぎの予約をとった。

近くの薬局で薬を受け取ったわたしたちは緊張から放たれてすっかり気が抜けてしまい、せっかく平日の朝早く都心に出てこのまま帰るのももったいないねとそのまま上野に移動した。母とふたりで何年かぶりに動物園を歩いた。
学校を休んで歩く冬の動物園はかくべつ。平日の真昼間だったので園内はすかすかで、だけど空気は透明で、光がやさしく動物たちの輪郭を照らす。
たえまない象の声に震え(感動)、爬虫類館の鰐に震え(最高)、何度も訪れているはずの場所だけれど、その日がいちばん印象的だった。鬱屈とした日々のなかに突如あらわれたエアポケットのような時間。
なにかをさぼった記憶のなかでいちばんたのしかった思い出で、これを超えることはきっとないだろうと思う。(もうさぼるな)

 

17歳のわたしの絶望はいま考えるとおさなくて、だけど切実だった。
あのやさしい診察室に同室して話をきいてあげたところで、救ってあげられることなんて一つもない。いまだって解決していることなんかごくわずかで、解決というよりは、問題も不安も絶望も、たえずもちつづけられる体力を養ってきたというほうがただしい。それは彼女のたすけにはならないかもしれないけれど、その彼女、あのときみていたよりもずっとやさしい世界に生きていますよ。レディオヘッドもずっと好き。だから大丈夫。がんば。