tayutayu

日誌

t.A.T.u.をまっていたわたしがチバユウスケに生かされたはなし

午後、彼の訃報を知る。

かなしいだとかせつないだとか、メディアで流れてくる過去形のことばがまだぴんとこない。
信じられないということばすら生まれてこないくらい、まだ彼の死を理解できていない。ただひとつ、なにもいいたくないのだけはわかった。
いまはただ黙っていたい。なにかしらリアルなものが感じられるまでは。

そんなふうにいつも通り時間をやり過ごして、やっぱりなにかはっきりした感情みたいなものは見当たらないんだけれども、覚えておきたいことというのはたしかにあり、ふくふくと浮かんでくるのでここに書きとめておきたい、せっかくだからよお。

今日はちょっとマニアックな長話になります。

 

チバユウスケの音楽をはじめて聴いたのは小学校中学年のころ、親友とt.A.T.u.に夢中になっていたとき。

そのころはまだそこらかしこにギャル文化の名残があり、まだ小学生だったわたしたちのまわりにもルーズソックスや厚底スニーカー、水色やピンクのトップスとか、いままた再燃している(うれしい)ザ・Y2Kみたいなかわいいものたちがたくさんあって、t.A.T.u.はその延長上にでてきたひとつのあこがれのアイコンだった。

きれいで、へらへらしてなくて、ちょっと訳あり。日本の音楽番組では聴こえてこないような楽曲。未知の女の子たちの登場に小学生のわたしたちは夢中になり、ミュージックステーションの放送を心待ちにしていた。
当日の朝、通学路できこえてくる「きょうタトゥーでるねー、」「えっ、うち録画してない!」みたいな会話をわたしもこころをおどらせながら聞いていた。

そして午後8時、クレヨンしんちゃんを見終えたままわたしはテレビにかじりついていた。
夕食の仕度をしていた母はなにがいいんだかそんなの、という顔でときどきこちらをみていたけれど、番組のオープニングが始まりアーティストが入場してきたところで「あっ」と声をあげてかけよってきた。
このひとたち、と彼女が指さす先にはスーツを着た痩せっぽちの男たちが並んでいた。「このひとたち、かっこいいからみといたほうがいいよ」
みんな金属のアクセサリーをつけて、随分と前髪が長くて、まだ健康的だったわたしにはずいぶんあやしくみえた。
「だれこれ」タトゥーを目で追うので必死だったわたしはすこし不満げにいうと、
「ーーだったかな。深夜番組にでてて…」母は説明しだしたが、興味のないアーティストの演奏が始まったので台所に戻っていった。
母は意外とがらのわるい男がすきなのかもしれない、と思って視線を戻すと、タモリさんとならぶタトゥー…いま思うと別の意味で感慨深いシーンを、当時は夢のような心地でみつめていた。

そして、伝説のドタキャン事件である。
待望の女の子たちがでてこない。いまではわらいばなしですがそのときは半泣きでした。
そしてざわつく会場に現れたのがさっき母の指さしていたミッシェル・ガン・エレファントだった。不測の事態に、じぶんたちの楽器と、生身の身体だけでその舞台に立ち向かえるのが彼らだった。
そのステージをみていたときのことはよく覚えている。
きっとほっぺはまっかだったと思う。母に「かっこいいでしょ」といわれ、高揚しているのを悟られたくなくて「かっこいい」とひとことつぶやいたが、わたしのもっている”かっこいい”ということばでは、いま目の前で起きていることをうまく表現できないような気がして、それ以上はなにもいわなかった。
あの日の出来事はそれくらい印象的だった。


それから数年、もうすっかりt.A.T.u.のたの字も忘れたころ。
中学に入り自分の部屋で音楽を聴けるようになって、手探りで洋楽をききかじりはじめていたわたしは、たまたまロッキンオンジャパンの二万字インタビューでみかけたレディオヘッドをきいてみたくて母とTSUTAYAへ行った。
そのときに母が「これ、借りてみない」と持ってきてくれたのが、あのミッシェル・ガン・エレファント

いままで聞いてきた音楽とはあきらかに質の違う、きいたことのない楽器の鳴りかた、そして錆びついたような声。くぐもっていて、いじいじした感じ。その上でがなるグルーヴ感。どこかUKっぽい上品さがあるのも気に入って、中学生のころのわたしはこの四人組に夢中になった。後期のどす黒さにもずぶずぶにやられてしまった。
こうなるともうバンドは研究対象。そもそもどんな音楽が彼らのルーツになっているのか、過去のインタビューを読み漁り、アベフトシのギターをコピーしながらチバユウスケになろうと声を枯らす日々。
高校に入ってさらに淘汰してくのだけれど、いま考えてもふつうの女子高生ではなかった。なにもいわずにおもしろがってくれた両親、ほんとうに感謝。

ふつうの女子高生では"いられなかった"というのもある。

umiushiumiuso.hatenablog.com

あのとき、じぶんの声を潰そうとしていたときのわたしには、身のまわりのいろんなものが窮屈で、息苦しくてしかたなくて、なにもかもがどうしようもなく絶望的にみえていた。「ここじゃないところ」へ音楽の力を借りて、時をやり過ごすのが精一杯だった。
そんなわたしの絶望と、ちょっぴりいじけてしまった死にかけのユーモアをなでて、腐らせることなくひとのいるところまで導いてくれていたのがミッシェル・ガン・エレファント、そしてチバユウスケの音楽。

学生時代に描いた絵が残っていた。いまみるとじゃっかんふっくりしている。


いま迷いなくいえる、彼の音楽なしではここまで生きられなかった。そしてこれからも。
こういうひとが、きっとたくさんいるにちがいない。

 

かみさま、チバユウスケをよろしく。