tayutayu

日誌

リハビリ雑記 ことばについて

数年まえから、だれかにむけてことばをもつことが難しくなった。

たわいなくふざけたり、かるい世間話とか、おきまりのやりとりみたいなことは変わらずできる。
けれど、たまに会ったひとたちが共有してくれるたいせつな出来事とか、時折わたしにむけてみせてくれるやさしさとか、なにをどう思うかとか、そういう話にうまく応えられない。
とくに友人や大切なひとたちにむけて。

思うことはある。(ほんとうにひどいときはなにも思えないこともある。我もついに人でなくなったかと思った。)
友人たちはみんな、それぞれのことばでいろんなことを伝えてくれる。やさしさに触れたときにはとびあがりたいくらいうれしくなるし、お互いが大好きな映画の話は日が暮れるまで語りたい。彼女たちがさしだしてくれたように、わたしもことばを返したい。
けれど、それができない。

いざそういう場面にたつと、"いま・ここ"で共有できることばがみあたらない。
なにか思っているはずなのに、なにをいえばいいんだろう、と途方にくれる。
メールの返信を打つときもそう。しばらく考えて、ありがとう、うれしい。それはそれでシンプルでいいんだけれど、あたりさわりのないことばしか返せずに終わる。


この困り感は、お互いのことばを大切にしてきたひとたちとのやりとりだからよけいにおおきいのかもしれない。鬱が回復してきたからこそ感じている不自由でもあると思う。
ことばに限らず、不調時など気を抜くとこういうかなしみを思いだして落ち込んだり焦ったりしがち。もーどーにも、なんかいやってもしんどいものですな。

最近はとりもどす、ではなくあたらしいことばを身につけていく、のスタンスに変えちゃうのもいいなーと思いはじめている。切りかえがなによりもにがてなので、気がついたら変わってたみたいな時のながれに身を任せていくスタイルで。