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日誌

わたし、ヘルプマークをつける

こんにちは、満員電車乗れない系パートタイマーです。
今日はずっとしまい込んでいたものをひっぱり出しました。

それは、ヘルプマークです。
いつ貰ったのかも定かではありませんが、たしか休職前に市役所でもらったもの。
「必要な方はご自由にどうぞ」と書き添えられた机の上から一枚手にとったものの、インターネットでしかみかけたことのない赤いカードは実物でみても(自分にとって)あまり現実感がなく、どこか手に馴染みませんでした。

そもそもヘルプマークとはなんなのか。
わたしがヘルプマークを貰ったころよりは世間に浸透してきているのでしょうか。
職場や街中でもちらほらとみかけるようになりましたが、まだ周囲の理解はあまり追いついていないような気もします。

いまいちどヘルプマークについて調べてみました。
Q&Aの形式でわかりやすかったので特設サイトから引用すると

Q.ヘルプマークとは?

援助や配慮を必要としている方々が、そのことを周囲の方に知らせることができるマークです。


Q.マークはどのような人に配っているのですか?

ヘルプマークの対象者は、義足や人工関節を使用している方、内部障害や難病の方、妊娠初期の方など、援助や配慮を必要としていて、配布を希望する方々です。 しかしながら、身体機能等に特に基準を設けているわけではありません。ヘルプマークの配布に当たっては、必要な都民の方々が円滑にマークを活用することができることに配慮し、特に書類等の提示は必要なく、お申し出に対しお渡しすることとしています。
マタニティマークと同様、御家族等が代わりにいらっしゃる場合も、お渡ししています。

 

Q.マークはどこで配っているのですか?

下記の場所で配布しています。

都営地下鉄各駅(押上駅、目黒駅、白金台駅白金高輪駅新宿線新宿駅を除く)駅務室、都営バス各営業所、荒川電車営業所、日暮里・舎人ライナー(日暮里駅、西日暮里駅)駅務室、ゆりかもめ(新橋駅、豊洲駅)駅務室、多摩モノレール多摩センター駅中央大学・明星大学駅高幡不動駅立川南駅立川北駅玉川上水駅上北台駅)駅務室(一部時間帯を除く)、東京都心身障害者福祉センター(多摩支所を含む)、都立病院、公益財団法人東京都保健医療公社の病院等

 

Q.マークを身につけた方がいたら、どうすればいいですか?

電車・バスの中で、席をお譲りください。
外見では健康に見えても、疲れやすかったり、つり革につかまり続けるなどの同じ姿勢を保つことが困難な方がいます。 また、外見からは分からないため、優先席に座っていると不審な目で見られ、ストレスを受けることがあります。

駅や商業施設等で、声をかけるなどの配慮をお願いします。
交通機関の事故等、突発的な出来事に対して臨機応変に対応することが困難な方や、立ち上がる、歩く、階段の昇降などの動作が困難な方がいます。

災害時は、安全に避難するための支援をお願いします。
視覚障害者や聴覚障害者等の状況把握が難しい方、肢体不自由者等の自力での迅速な避難が困難な方がいます。

 

Q.今まで何人ぐらいに配布しましたか?

2022年3月末で約465,000個を配布しました。

 

Q.東京都以外でのヘルプマークの取組はありますか?

令和3年10月31日現在、東京都のほか、全ての道府県で取組を開始しています。

 

(引用元:助け合いのしるし ヘルプマーク | ヘルプマークとは)

※4つめの質問・マークをつけたかたへの対応についてですが、これはあくまでも全体にむけての回答であって、個人が必要としている対応はそれぞれ異なってきます。ヘルプマークの裏には必要事項を書き込むカードや記述欄があり、そこに自分に必要な対処やお願いを書き込んで身につける、というのが一般的です。別付でメッセージカードを付けているかたもいらっしゃいます。

 

ヘルプマークがどんな意味で用いられているかをあらためてみてみました。
過去のわたしはここで迷ったわけであります…わたしが必要としていることってなんなんだろう、、

ヘルプマークは目に見えない困りごとを他者と共有し、いざというとき自分に必要な対処を適切に伝えられるようにするためのもの。

けれどわたしは、だれかになにかをしてほしいわけではありませんでした。
わたしの毎朝の症状であれば助けはいりません。言葉がけや手当てもいらないし、ただ周りの人が驚かせたり、席を譲られそうになるのがいやで必死で座り込むのをがまんしているだけのこと。そのわたしが、このカードに何を書いたらいいんだろう…

悶々と考え、わたしはこのカードを持っていい人間ではないのかもしれない、と一年近くしまいこんでいました。

しかしある朝、優先席エリアで発作を起こし、気をとばしそうになりながらふと思いました。(はたからみればだらしなくつり革からたれさがっているたぶん女だろうかたまり)
わたしは電車で座り込んでもいい世界線にいきたい。
真面目に話しているのにこのいいかたはちょっとあんまりかもしれません。
エッ座り込みたいなら座り込んだらいいんじゃねみたいな人はいちどお帰りください。

わたしは切実に困っていました。
電車に数十分乗れないだけで仕事には通えず、当たり前のことがまったくできない状態。これをあと何年、何十年繰り返していくのか。これは十分生きていくことに関わる問題だと思いました。
せめて、いまここで一駅でも二駅でも座っていられたらなんとか仕事には出れるのです。生活はできる。でもどうしてそれをしないかというと、他人の目、どうみられるかとか、だれかを動揺させることを恐れているからです。そんなことを考えているうちに余計あたまがぐらぐらしてきます。
そのとき、しまい込んでいるヘルプカードと、その意味を思い出しました。

援助や配慮を必要としている方々が、そのことを周囲の方に知らせることができるマークです。

わたしがいまほしいのは配慮なのかもしれない。
配慮とは、心配り、相手の状況に対する気のもちかたという意味だったと思います。
わたしはここで、立っていられなくなることを許してほしい、座り込んでも心配しないでほしい。ただそっとしておいてほしい。
それがわたしの、見ず知らずの人々にお願いしたい配慮でした。

今日久しぶりに物入れから取りだすと、ヘルプマークはいくらか埃っぽくなっていました。

裏面のカードには、事実をできるだけ簡潔に書きました。
とくべつな手助けは必要ありませんが、
貧血や発作を起こして座り込むことがあります。
ご迷惑をおかけしてしまい申し訳ございません。

あしたからはこれをつけて家を出ることになります。
書いたからには堂々と!といいきかせながらもどこか落ち着かない。
でもきっとどこかに仲間はたくさんいるから。がんばろうな、生活。

わたしはサンマロ湾でナマコを観察した…

*ちょっとマニアックかもしれない

お題「人生で一番やり込んだゲーム」

ぼくのなつやすみ2です。そのなかでも印象に残っている音楽の話をします。
主人公ボクくんには、かわいがってくれる近所のお姉ちゃんがいるのですが、彼女の家でかかっているピアノ音楽がとても好きで、それを聴くためだけに毎夜彼女の部屋へ忍び込んでいた記憶があります。もちろん無言です。

ぼくなつを離れてからもずっと耳に残っていて、大人になってからインターネットで調べると同じように気になっていた人たちがちらほらいたようでした。(一人じゃないって思った瞬間)


お姉ちゃんの家で流れてくる音楽は4曲。
どれも作曲はエリック・サティによるもの。

1. ジムノペディ第一番


www.youtube.com

2. なまこの胎児 ( ~1:54ごろまで 


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3. ノクチュルヌ第三番


www.youtube.com


4. あなたが欲しい Je te veux


www.youtube.com

小学生のわたしがめろめろになっていたのは3番目のノクターンだったので、4番目のJe te veuxまでくるとちょっと気が済んで日記を書くモードへ進んでいたような気がします。

そして問題は2番、なまこの胎児です。全3曲からなる Embryons desséchés(「胎児の干物」、「干からびた胎児」と訳される)のうちの一曲。
いびつさとうつくしさが不思議と耳に残り、子供ながら深く印象に残っていました。

が、なんども言います。
なまこの胎児です。
そのつぎに続く2曲が、甲殻類の胎児、柄眼類の胎児……

Wikipediaもう何度も読んでるけどやっぱりよくわかりません。サティ、だいすき!

ja.wikipedia.org

タイトルはWikipediaから拝借しました。

へこへこしない練習

へこへこするタイプです。
何をするにもしてもらうにも、へこへこしてしまいます。
ローソンのレジで「ありがとうございます」を何回言うだろうと数えてみたら、ただプレミアムロールケーキを買うだけなのに3回言いました。「あっ、」もそれくらい言いました。支払いや自賠責の申し込みや複数口の荷物の発送などがあったのならまだしも、コンビニスイーツのお会計で3回はさすがに言い過ぎです。
セブンイレブンで働いていたわたしだってそう思います。

どうしてそうなってしまうのかをざっくり考えてみました。

 

1. 過去を拗らせている
お金を払っている時点で対等な関係である、というしくみは理解できているはずなのですが、どうしても「気持ちよく仕事をしてもらいたい」という気持ちが湧いてしまいます(…書いていているそばからそれはそれで自分が気持ち悪くなってきました、なにこの客)
これには自分が接客業をいくつかやってきた経験からくるもの(闇)が影響しているのかもしれません。
けれど、自分がいま接客をしていたとして、お客さんになにか期待をしているか?と考えてみれば絶対にしないはず。最低限の礼儀と清潔だけ守られていれば二時間だって三時間だっていてもらってかまいません。

2. コミュニケーションスキルの低さ
自分と相手の間で起きているできごとに圧倒されてしまい、パニックになっているところがあります。
たぶんコンビニでのやりとりくらいならある程度の定型のパターンがあり、返答を返したりお礼をするターンというのは決まっているはず。なのである程度は間を待つことができるのですが、「あっ」を多用してしまうひとたちというのは、いざレジに向かうとそんなものはぜんぶ吹っ飛びます。
そして「なにかをしてもらったときにはありがとう」の信念のもと、店員さんのすべての言動に対してお礼を申してしまうわけです。

 

このことを考えはじめたのは、今日の昼下がり、たまたま交通整理のおじさんとすれ違う機会があったからでした。
交通整理のおじさん……へこへこポイントですね。
いつもだったらおじさんがみえて、相手もこちらを認識して手を上げるか下げるかしはじめるようなタイミング……まだ数メートルあるくらいのところから、わたしのへこへこはスタートします。

へこへこ①、早歩き(走り) → おじさんの手前でへこへこ②→おじさんがへこへこ→わたしがへこへこ③、早歩き

ふつうに②か③だけでいいような気がします。

なのできょうはおじさんが頭を下げたらわたしも一度頭を下げる、というへこへこ撲滅運動に挑戦しました。

そうしたらなんと……すごく気持ちいい!
なんというか、アクションゲームのような快感?といってもゲームはほとんどやらないのですが、モンハンnowのジャスト回避ってご存知でしょうか。
モンハンでは敵の攻撃を横フリックでかわすことができるのですが、ジャストタイミングで攻撃をかわせると、なにかいいことがあるようなんですね(わたしもよくわかっていない) あれを決めたような気持よさ。

真面目に話しますと、必要なときに必要なぶんのリアクションを返す、その純度を高めていくことが、交通整理のおじさんとのやりとりのなかでも十分可能であると思えたわけです。
おじさんとのやりとりのなかにはことばはありません。かわりに周囲の状況などでアクションのタイミングや濃度が変化します。ここでリズム感、タメみたいなものが習得できるような気がしています。(交通整理のおじさんは多くが二人くらい配置されているし、行きと帰りで最低でも4回お礼ができる!)

あしたから道路工事を見かけたら、積極的に近寄ってみたいと思います。

わたしと満員電車のこと

わーい、今日は眠らないでいられました。
午後4時頃に30分ほど気絶していたような気もしますが、
……起きていたことにします。(スマートウォッチを着けわすれていたことをいいことに)

 

さて、このブログを読んでくださった方は感づかれているかもしれませんが、

わたしは朝の満員電車に乗れません。
いや、乗れてるじゃん、とお思いのあなた。たしかに、それは間違いではないのかもしれません。が、正確にいうと、乗れるけど、具合が悪くなってしまうんですね。
言語化すると、あたまがキューともっていかれそうになりながらからだがばらばらになりそうなのを必死でおさえつけそのあいだにくらくらはらはらと足元の感覚がなくなっていくような感じです。じぶんで説明していてもわけがわからないのですが、そういう感じです。


はたから見るとこんな感じかと思います。

それにより職場へたどり着けなかったり、そもそも朝家から出られなかったりということが多々あり(不調は目覚めから続いているので、電車に乗ることが想像できず動悸がして目の前が真っ暗になる)、職場にも迷惑をかけまくり。
これはもう乗れてないんだと思います。

それなので、
毎朝の通勤と働きかたの見なおしについて考えてみました。

1. 住みかを変える
会社の近くに住処を移してしまう、という解決方法。これは家族から提案されたもの。
おまえの月収で借りれる家があるんか!?と驚かれるかもしれませんが、調べてみると4~5万円代で借りれる家がいくつもあり、時間をかければじぶんに合った物件を探すこともできそうだなと思いました。
問題は、敷金礼金、初期費用と、引っ越し時には家賃以外のお金がかかってくること。貯金もできていない生活なのでここはかなり厳しい。家族も頼れない。
いろいろと調べていくと福祉の政策として公的な貸付の制度があることもわかりました。制度の対象には入っているようなので、いちど相談にいってみてもいいのかも。

2. 働きかたを変える
いっそのこと仕事を辞めてしまい、失業保険を貰いながら職業訓練などで技術をかためて、あたらしく職(できれば在宅okなところ)を探すという方法。
これは長らくじぶんなりに考えていた道すじで、体力的にはうんと楽になりそうですが、収入の面ではいまよりもずっと厳しくなるはずです。

3. A型作業所へ通う、障害者枠を利用する
通勤がネックというところからはすこし外れますが、理解のある職場へ移るという方法です。わたしは手帳を持っているので作業所や障害者枠を利用する手もあります。
けれど収入の面ではこちらも厳しいので、じぶんにとっては最終手段という気持ちでいます。

ここまで書いてきましたが、いまのところ引き続き下調べをしていきたいのは1と2かな。
どちらも現実的に動き出すには準備が必要だし、その材料が揃うのにもまだまだ時間がいります。でもこうやって調べ始めると、通勤電車で気を失っているわたしの一日も、ちゃんと未来の可能性につながっていきそうなことがわかります(要するにカネです)。それだけでもほんの少しがんばれるエネルギーになるかも、なるかも、なる、なる……
と唱えいいきかせながら来週からもがんばりたい所存。

どこにもいけない部屋のなかですこし遠いところのことを考えている

おはようございます。
きのうはほぼまる一日眠り続けてしまい、目が覚めた頃にはすっかり頭痛まみれで起き上がれず、PC開けずのまま日を終えてしまいました。そーゆー日もある。

きょうはなんとか午前中に起きれたのでこのまま覚醒していたいところ。
しかし何もする気が起きないまま縦になっているのも苦痛だし、なんとかここから頭あたまだけでも逃がしてやりたい……
そんなときによくお世話になっているのが、美祢市立秋吉台科学博物館さんの公式ツイッター。定点カメラからの眺めや鍾乳洞、植物のようすなど、日々の移り変わりを淡々と伝えてくれるアカウントです。
もう三年くらいはかじりついていると思うのですがいまだ現地にはいけていません。
もう少しいろいろと安定したら、飛んでいきたいなーと思っています。

ウッ、ストーブ、、ツボ……
他人の家からするストーブの匂いってどうしてあんなに魅力的なんでしょう。
この定点写真がまたうつくしくて、ついタイムラインを遡ってしまいます。

鍾乳洞の投稿も好き。

かぐわしき灯油のにおいと、たったいまもあるとおくの洞窟におもいを馳せながら(すぐ馳せる系)、現実的に秋吉台行きについて考えてみる。

経路
LCCで羽田→山口宇部の経路が経済的にも体力的にも現実的。
移動モンスターだった頃なら数日かけて18きっぷで、、なんて考えることもできただろうが、いまは通勤通学が重なる時間帯や都市部の移動が入ってきてしまったら貧血で即アウト。なので18きっぷ作戦は使えない。夜行バスもできれば超長距離は避けたいのでそうなると飛行機…やっぱ飛行機……ニヤリ
ということで念願の飛行機に決定です(いくなら)。もちろんLCC (いくなら)。

宿泊
そろそろ禁断症状がではじめそうなので、つぎの旅ではぜひとも東横インに宿泊したいところ。出張でも弾丸旅でも各地の東横インを利用しまくっていたわたくし。あの、どこでも変わらない内装(奇怪)と、朝の少し味の濃い混ぜご飯が恋しくなりはじめています(じぶんの家でもできる)。恋しくてふるえる。いつのまにかへんなマイクロチップでも埋め込まれているんだろうか……とにかく東横イン一択です。

体調を崩してからしばらくのあいだ、遠出をするなんてことは全く考えられませんでした。なのでいまこのように調べたり、ほんの少しでもふくふくと妄想できるようになってきていることは立派な回復のしるし。お金も体力も余裕がなくて、実現するのはまだまだ先になるだろうけれど、乗る飛行機と泊まる東横インが決まっていればこっちのものです。
こうやっていけそうな場所をどんどん増やしておこう、と思った日曜午前でした。

きょうもにんげんになれなかった

家をでるときにはジム・オルークをきいていた。
目覚めからもうろうとしていて、とにかく家から出ないととドアを開けたのが7時半を過ぎた頃のこと。その二時間後には、このドアの前に戻ってきていた。

家を出て最寄りの駅まで歩きながら、朝食べたもののことを思い出していた。
焼いていない食パン、マーマレードジャム。
コンサータを飲んだからたしかコーヒーは飲んでいない。
駅に着く。始業時間には余裕で間に合う時間なのに、血の気はすでに引いているのがわかる。
投げやりな気持ちで電車を待った。それから数十分のことを考えると憂鬱で仕方がない。案の定、最寄り駅までは行けたもののバスに乗る前に動けなくなり、バス停で会社にメールを打った。動けるようになるまでしばらくじっとしたあと、さっきまで乗っていた電車と逆向きのホームへ降りた。

貧血、血圧の異常、低血糖、自律神経の乱れ、ストレス、パニック、なんでもいい。
とにかく朝がつらい。電車がつらい。ごくあたりまえのことがどれもつらい。
こういうことをくり返すたび、どうやったらにんげんになれるんだろうと思う。

やりようのない日記になっちゃった。
こういう気分には、ジム・オルークがとても合う。


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げんかいなわたしがなぜブログを始めたのかについて

以下わたしがブログを始めた理由ってなんだっけ、とさっきあたまを洗いながら考えていたこと。

1. リハビリ(脳トレ)

わたしは一年ほど前に鬱症状を酷くし、半年ほど休職生活を送っていました。
いまは復帰をし、また社会生活に戻ったわけですが、
あたまがうまくはたらかないんだこれが。
もともとよくできたあたまではありません、が、だからといってこれはあんまりだ…と調べてみると、鬱にも後遺症のようなものがあるそうですね。ブレインフォグとかいったりもするそう。(ブレインフォグ、で検索するとコロナ関連のものばかり出てきてキーとなる)

わたしは鬱がひどくなる前にくらべて、思考力や言語的に物事を整理する力がかなり落ちています。
もう少し具体的にいうと、全体的に靄がかかったような感じで、透明のアクリルを一枚隔て、そこから外界やじぶんのあたまのなかをみているような感覚があります。なにか深く掘り下げたいテーマがあっても、ある一定のところから思考が掴めなくなる。水に落とした絵の具みたいな感じです。うまく説明できませんが、考えることで救われてきたじぶんにとっては絶望的でもあります。

とにかくとにかくこの現状を脱したい!と思い、いまのじぶんにトレーニングとしてできることはないかなーとくねくね考えた結果、
仕事に関係なく(まだ無理)、
趣味にも関係なく(こだわりを拗らせる可能性あり)、
じぶんひとりでできること …で思いついたのがブログだったのでした。単純。

2. 習慣づくり

はずかしながらここ数年自宅ではいっさいPCを触らない生活を送っていました。
長年PCは仕事道具のようなものでしたが、調子を崩してからというものPCの画面をみていると具合が悪くなることが続き(フラッシュバックの嵐、地獄)、自然と距離を置いていました。そこからまた数年ぶりに毎日起動しているわけですが、よく壊れないでいてくれたなと思います。

調子は次第に安定し、ここのところは少しずつ先のことを考えられるようにもなってきて、PCスキルの必要性をひしひしと感じ始めました。そもそもいま使っているのが十年前のPCなので、わたしの手元のスキルってきっと化石のようなんですね…
これはいけない、一日一回は机にむかってPCをひらく習慣をつけよう!という危機感のもと始められたブログでもあります…
勉強できるようになりたければ一日一回5分でもいいから机に座れって岡田斗司夫がいってた。違ったっけ。

 

3. 当事者の声になりたかったから

休職中からいま現在の生活で、わたしがいちばんはげまされているのがSNS上に点々と散らばっている当事者の声です。
外に出て周りを見渡しても、じぶんのようにちゃんとしてなさそうなひとってあんまり見かけないけど、YouTubeTwitterを開くと、同じように不安を抱えながら毎日を過ごしている人たちの声があり、昔リワークに参加したときの安心感と似ているなと思います。

通っていたリワークでは週に何度かかんたんなディスカッションの時間がありました。集まる利用者は年齢も性別もばらばら、ほぼはじめて会ったばかりの人たちなのに、会話をしているとみんなのことばがすっと自然に伝わりあう瞬間があって、からだのしんからほっとした気持ちになったのを覚えています。

だれかのできごとがわたしのできごとを癒す、そういう瞬間にたくさん出会ってきて、sns上の声もそのひとつになり得るのだなと再確認しました。
わたしは有益な情報も上手な文章も書けないけれど、いち復職系げんかいパートタイマーとしての「仕事いきたくない」が、どこかのだれかの「仕事いきたくない」を癒すことがあるのではないか…?いやないか 長々書いていたらねむくなってきました。
要するに、インターネットの塵になりたいということです。

そもそもこんなことを考えている時点でもうすでにあーなに書こうかなの領域に突入していますね。あしたも仕事だ、眠ります。おやすみなさい。


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お題「はてなブログをはじめたきっかけ」